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大阪地方裁判所 平成6年(行ウ)10号 判決

原告

佐藤正子

右訴訟代理人弁護士

南逸郎

藤巻一雄

藤本久俊

崔勝

畠田健治

被告

堺労働基準監督署長谷口恒夫

右指定代理人

本多重夫

紀純一

田中義郎

田中通義

坂井篤

南ヨシ子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、原告に対し、昭和六三年一〇月七日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、その亡夫佐藤長太郎(以下「長太郎」という。)の死亡について、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料支給の請求をしたところ、被告が、右死亡は業務に起因するものと認められないとの理由で、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分をしたため、右死亡は業務に起因するものと認められ、右処分は違法であるとして、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  長太郎の死亡

原告の亡夫長太郎は、昭和五三年九月二一日、仲川交通株式会社(以下「仲川交通」という。)に雇用され、同月二六日から、同社のタクシー乗務員として勤務していたが、タクシー運転業務に従事していた昭和六一年五月二六日午後五時二五分ころ、急性心筋梗塞を発症し(発症時間については〈証拠略〉、弁論の全趣旨により認定する。)、同日午後八時ころ、医療法人山紀会山本第一病院(以下「山本第一病院」という。)で診療を受けてそのまま入院したが、同月二七日午前一時五五分ころ、死亡した。

2  本件処分

原告は、被告に対し、昭和六三年二月一八日、長太郎の死亡が業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料支給の請求をしたところ、被告は、同年一〇月七日付けで、長太郎の死亡は業務に起因するものではないとして、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

そこで、原告は、大阪労働者災害補償保険審査官に対し、同年一一月二九日、本件処分について審査請求をしたが、同審査官は、平成二年七月一一日付けで、右請求を棄却する旨の決定をした。

さらに、原告は、同年一〇月二六日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成五年一一月一一日付けで、右請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書は、同月二六日、原告に送達された。

二  主たる争点

長太郎の死亡の業務起因性の存否

(原告の主張)

本件急性心筋梗塞は、以下のように過重なタクシー運転業務による精神的、肉体的疲労の蓄積により発症したものであり、長太郎の死亡が業務に起因することは明らかである。

1 昭和六二年一〇月二六日付け基発六二〇号労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「認定基準」という。)に照らしても、長太郎の死亡は業務に起因するものと認められる。すなわち、長太郎は、連続勤務という日常勤務に比して過重な業務に就労したことによって過重負荷を受け、それによって本件急性心筋梗塞を発症して死亡するに至ったものである。

(一) タクシー乗務員の勤務の特性

自動車の運転は、常に重大な事故の可能性を内包しているため、周囲の車両、自転車及び歩行者の動静に注意しながら、自己の進路・道順を適宜判断し、車両を操作しなければならず、精神的に強度の緊張やストレスを伴う作業である。また、狭い車内において同じ姿勢を取り続けることを要求されるために、肉体的にも大きな疲労を伴う。

タクシー乗務員は、このような自動車の運転を長時間にわたって反復継続することを労働内容とするものであり、精神的緊張、ストレス及び肉体的疲労は一層大きい上、疲労を感じたとしても、自由に休憩することができず、しかも、長太郎のように深夜にわたって運転に従事する場合は、深夜の労働自体が人間の生活リズムに反する反生理的なものであり、また、暗さから来る視認性の悪化や、対向車のヘッドライト等の刺激のために、肉体的疲労や精神的な緊張・ストレス・疲労は飛躍的に増大する。

(二) 長太郎の業務の過重性

長太郎は、昭和六一年五月二三日から同月二五日にかけて連続勤務(以下「本件連続勤務」という。)をし、同月二三日午前一〇時一〇分ころから同月二四日午前八時三〇分ころまで二二時間以上にわたってタクシー運転業務に従事した後、わずか二時間後の同日午前一〇時ころから同月二五日午前八時三〇分ころまでさらに約二二時間三〇分にわたってタクシー運転業務に従事し、その間、四九名もの乗客を乗車させ、合計約五〇〇キロメートルの距離を走行している。

タクシー運転業務は、通常の勤務でさえ、相当の精神的、肉体的疲労を伴うものであるが、連続勤務の場合は、通常の勤務とは比較にならないほどの精神的緊張やストレスを強いられるものであり、しかも、長太郎は、風邪で体調を崩して欠勤した翌日にこのように過重な連続勤務をしているのであり、右連続勤務が、通常の勤務に比して過重な勤務に該当することは明らかである。

(三) 過重負荷と死亡の時間的近接性

長太郎は、右連続勤務という過重な負荷を受けた結果、同月二六日午後五時二五分ころ、本件急性心筋梗塞を発症し、死亡するに至っており、過重負荷を受けてから発症までの時間は、約三三時間であり、極めて近接時間内に発症しているものといえ、右時間的経過は、医学的に見て妥当なものと思料される。

また、長太郎の発症前一週間の総勤務時間は、通常の週と変わりないが、風邪による欠勤直後の体調のすぐれない時に本件連続勤務をこなした上、その翌日も通常の勤務に就労しており、質的に見て過重な労働の継続と評価できる。

(四) よって、長太郎は、日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことによる過重負荷を受けており、さらに過重負荷を受けてから発症までの時間的経過も医学上妥当なものであるから、長太郎の死亡は、認定基準を満たし、業務に起因するものであることは明らかである。

2 長太郎の死亡は、仮に認定基準を満たさないものであったとしても、業務に起因するものである。認定基準は、通達によって脳・心疾患についての一応の基準を定めたものであり、この基準を満たさなくても、業務と疾病との間に相当因果関係があれば、業務起因性は認められる。

(一) 業務起因性の判断基準

業務と疾病との間の相当因果関係を判断するに際しては、因果関係を医学上個別具体的に証明することまで必要でなく、現代医学から見て因果関係が存在する可能性があり、他の事情と総合して業務が疾病の原因となっていたと見られる蓋然性が証明されれば足りる。

また、相当因果関係があるというには、当該業務が発症の唯一の原因であることは要さず、被災者が発症の要因となるような基礎疾患を有する場合でも、当該業務が基礎疾患に作用して基礎疾患を自然的経過を超えて著しく増悪させ、基礎疾患と当該業務が発症の共働原因となった場合には、相当因果関係が認められる。

(二) 本件発症の業務起因性

(1) 長太郎は、高血圧症という基礎疾患を有していたが、その程度は、境界域高血圧にとどまるものであり、さほど重篤なものではなく、この基礎疾患の自然的経過によって本件急性心筋梗塞の発症に至ったものとは到底認められない。また、長太郎は、多少の喫煙癖はあったものの、その量は少なく、喫煙が高血圧症に著しい影響を与えたものとは考えられず、長太郎は、ほとんど酒を飲まないので、その影響も考えられない。その他、日常生活において、長太郎の高血圧症を自然的経過を超えて特に増悪させるような要因は見当たらない。

他方、タクシー運転業務の過重性は、前記1のとおりであり、加えて、長太郎は、公休出勤や連続勤務が多く、また、就業規則時間に定められた就労時間を超えて運転業務に従事することも多かったので、精神的、肉体的に著しく疲労が蓄積していた。このようなタクシー運転業務による精神的、肉体的疲労が、長太郎の基礎疾患を惹起し、急激に著しく増悪させたことは、医学的にも十分認められるところである。

このように、長太郎の従事していたタクシー運転業務は、基礎疾患を自然的経過を超えて著しく増悪させると認めるに足りる程度に過重なものであり、他に長太郎の基礎疾患を著しく増悪させるような要因はないのであるから、本件急性心筋梗塞の発症及びそれに起因する長太郎の死亡という結果は、基礎疾患と本件業務が共働原因となって生じたものと認められる。

(2) 長太郎は、昭和六一年五月二六日午後五時二五分ころ、乗客を乗せて走行中に本件急性心筋梗塞を発症し、その後も、右乗客を梶田運転手に引き継ぐ同日午後五時四〇分ころまでの十数分間、乗客を乗せたまま走行を続け、緊張を強いられる業務を継続しており、さらに、その後も就労時間中であったため、勤務に戻るべく、しばらく付近で休息していた(このような業務に復帰するために必要な休息時間も「就労中」に当たる。)。

そのため、長太郎が、病院で受診したのは、同日午後八時ころになってからであり、右発症後早期に治療を受けていれば、死亡にまで至らなかった可能性が高く、右発症後なお業務に従事し続けたことが、長太郎の本件急性心筋梗塞を著しく増悪させ、同人を死亡に至らせた大きな原因となっている。

よって、本件急性心筋梗塞発症後の業務は、長太郎の死亡と相当因果関係を有するものであり、この点からも長太郎の死亡は業務に起因するものと認められる。

(被告の主張)

本件急性心筋梗塞は、長太郎の冠状動脈の器質的硬化病変が自然経過により増悪し発症するに至ったものであって、長太郎のタクシー運転業務に起因するものとは認められない。

1 業務起因性の判断基準

業務起因性が認められるためには、業務と疾病との間に条件関係が認められるだけでは足りず、相当因果関係の存在することが必要である。そして、右相当因果関係の存在が肯定されるためには、当該業務に内在し、あるいは通常随伴する疾病への客観的な危険が現実化して当該疾病が発症するに至ったといえることが必要であり、とりわけ、疾病への原因が競合する場合には、当該業務が医学的知見に照らしても疾病に対して他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることが必要である。

心筋梗塞などの虚血性心疾患は、私病が増悪して発症するいわば私病増悪型の疾患であるが、業務によってもたらされる過重負荷があれば、例外的に業務と虚血性心疾患との条件関係は明らかであり、かつ、そのような場合、業務は虚血性心疾患に対し、他の原因と比較しても相対的に有力な原因であるといわざるを得ないのであり、医学的知見によって、強度の精神的、肉体的負荷を与えるような異常な出来事又は発症前二四時間内の日常業務に比較し特に過重な業務あるいは発症前一週間内の過重な業務の継続が過重負荷に該当するのであれば、かかる過重負荷がある場合には、虚血性心疾患の業務起因性を認めるのが相当である。

認定基準2(業務に起因することの明らかな脳血管疾患及び虚血性心疾患等)は、

「次の(1)及び(2)のいずれの要件をも満たす脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、労働基準法施行規則別表第一の二第九号に該当する疾病として取り扱うこと。

(1) 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ 発症状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。

ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。

(2) 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること。」

と定め、認定基準(解説)4は、右「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過(加齢、一般生活等において、生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいうとし、虚血性心疾患等に関し、医学経験則に照らし、既存の血管病変等を自然経過を超えて急激に著しく増悪させて発症させたものと認定できる業務上の事態を類型化している。

2 本件疾病の認定基準不充足性

(一) 長太郎が、本件急性心筋梗塞発症前に業務に関連する異常な出来事に遭遇したとは認められないので、認定基準を充足するかどうかは、専ら、長太郎が本件急性心筋梗塞発症前に、日常業務に比較して特に過重な業務に就労していたかどうかの判断に係ることになる。

(二)(1) 本件急性心筋梗塞発症当日である昭和六一年五月二六日、長太郎が過重な業務に就労していたとはいえない。

(2) 本件急性心筋梗塞発症前一週間(同月一八日から同月二五日までの間)の長太郎の勤務状況は、本件急性心筋梗塞発症前約三か月間の勤務状況とほぼ同一程度の常態的なものであり、特に過重な業務に就労していたとはいえない。

長太郎は、確かに本件連続勤務をしているが、長太郎は、連続勤務に対しても、相当の熟練性を有していたと認められる上、本件連続勤務中には、合計約一三時間もの停車時間があり、その中で、長太郎は、合計六時間の休憩時間も確保しているものと推認され(一旦自宅にも戻っている。)、また、本件連続勤務の前後にそれぞれ約七二時間及び約二四時間の非勤務時間があり、本件連続勤務をもって、特に過重な業務であるとまではいえない。

(3) よって、本件急性心筋梗塞発症前に、長太郎が日常業務に比較して特に過重な業務に就労していたとはいえず、本件急性心筋梗塞は、認定基準を充足するものではない。

3 本件急性心筋梗塞の発症には、認定基準とは別に業務起因性も認められない。

(一)(1) タクシー運転業務と高血圧症との関連性及びストレスと心筋梗塞との関連性については、医学的に未解明な部分があり、仮に、一般論として右関連性を完全には否定できないとしても、タクシー乗務員の個人差を考慮すれば、当該乗務員にとってその関連性が認められるのか、認められるとして、どの程度の影響があるのかは全く明らかでなく、とりわけ、ストレスに対する生体反応には著しい個人差が存在する。

そして、相当因果関係の判断が最終的には法的判断であるとしても、右判断は、医学的経験則に裏付けられるべきであり、右関連性が明らかでない点に照らせば、本件において、認定基準とは別に、本件急性心筋梗塞とタクシー運転業務との間に相当因果関係がある旨の立証が尽くされたとはいえない。また、本件において、長太郎のタクシー運転業務が他の事情と総合して、本件急性心筋梗塞の原因となったと見られる蓋然性が証明されているともいえない。

(2) 長太郎に原告が主張するような肉体的疲労の蓄積が認められるとしても、それは、長太郎が、年次有給休暇を取り、公休日や非勤務時間を割いて、毎月七〇ないし八〇時間を組合活動に費やし、他のタクシー乗務員と異なり、タクシー運転業務による肉体的疲労の回復を十分に図っていなかったことによるところが多い。

(二) 本件急性心筋梗塞が重篤なものであったことに照らせば、発症直後に長太郎が病院に直行し、治療を受けたとしても、救命の余地があったと認めるに足りる証拠はなく、また、長太郎のタクシーには無線が装着されており、仲川交通に無線連絡を取りさえすれば、緊急に対応できる体制となっていたことをも勘案すれば、長太郎の死亡は、本件急性心筋梗塞発症後の業務に起因するものともいえない。

(三) 本件急性心筋梗塞は、長太郎が高血圧症、肥満及び喫煙癖という冠状動脈の器質的硬化病変を発症増悪せしめる危険因子を有していたこと、とりわけ、長太郎は、昭和五五年ころから、慢性的な高血圧症にあり、降圧利尿剤等の投与により一時的に正常値となっても、すぐに再び高血圧ないし境界域高血圧の状態に戻るという状況にあり、加えて、長太郎は、昭和六〇年五月ころから約一年間にわたって、何ら高血圧症の治療を受けていないことから、加齢とともに冠状動脈の器質的硬化病変が相当程度進行し、その結果、たまたまタクシー運転業務遂行の機会に発症し、又はタクシー運転業務の遂行を引き金として発症するに至ったものである。

4 以上のように、本件急性心筋梗塞は、認定基準を充足するものではないのみならず、認定基準とは別に業務起因性が認められる場合であるともいえないから、被告のした本件処分は適法である。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四争点に対する判断

一  前記争いのない事実及び証拠(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)を総合すれば、次の事実が認められる。

1  長太郎の勤務状況等

(一) 仲川交通における勤務形態(〈証拠略〉、弁論の全趣旨)

仲川交通におけるタクシー乗務員の勤務形態は、主に一車二人制隔日勤務で、午前九時に始業するグループと午前一一時に始業するグループがあり、死亡当時長太郎が属していた後者のグループは、就業規則上、午前一一時に始業し(始業の日を「出番」と称していた。)、午前一一時三〇分に出庫して運転業務に就き、翌日午前五時三〇分に入庫し、午前六時に終業する(終業の日を「明番」と称していた。)という勤務形態であり、拘束時間は一九時間であったが、適宜、合計三時間の休憩・食事休みの時間(以下「休憩時間」という。)が認められており、実働時間は一六時間であった。しかし、長太郎を始め同グループに属する多くのタクシー乗務員は、翌日午前八時ないし九時ころに入庫することが常態となっていた。

各タクシー乗務員の一週間の勤務体系は、原則として出番、明番を三回繰り返した後、七日目は公休日として全日にわたり勤務をしないというものであったが、曜日によって売上の相違があることから、四週間に一回の割りで、出番、明番を四回繰り返した後に公休日とするようにして、各タクシー乗務員の売上の平等が図られていた。

なお、仲川交通では、明番当日に再び出番となり、実質的には一勤務が三暦日にわたる連続勤務と呼ばれる変則的な勤務方法もあった。長太郎は、昭和五八年ころは、経済的な事情から他のタクシー乗務員に比べて連続勤務に就く回数が多かった。しかし、昭和六〇年ころから、連続勤務による事故が多発し、仲川交通が、欠勤の振替としての連続勤務以外は原則として認めなくなったため、長太郎の連続勤務の回数も減少した。長太郎は、昭和六〇年九月に一回、同年一〇月に二回、同年一一月に三回、同年一二月に一回、昭和六一年一月に四回、同年二月に一回、同年三、四月に一回、同年五月に一回(本件連続勤務)の連続勤務をしている。

(二) 長太郎の発症前約三か月(昭和六一年二月二一日から同年五月二〇日まで)の勤務状態(〈証拠略〉、弁論の全趣旨)

(1) 昭和六一年三月期(同年二月二一日から同年三月二〇日まで)は、定日出勤二四日(一勤務は二暦日にわたるが、一日として計上、以下同じ。)、休日出勤なし、公休日四日、欠勤日及び有給休暇日なしであり、一勤務あたりの平均拘束時間二二時間三八分、一勤務当たりの就業規則所定の拘束時間を経過する勤務時間(以下「時間外労働時間」という。)の平均時間三時間四八分、一勤務当たりの平均走行距離二一九キロメートルである。

(2) 昭和六一年四月期(同年三月二一日から同年四月二〇日まで)は、定日出勤二七日、休日出勤一日、公休日四日、欠勤日一日、有給休暇日二日であり、一勤務あたりの平均拘束時間二一時間五二分、一勤務当たりの平均時間外労働時間二時間五七分、一勤務当たりの平均走行距離二四八キロメートルである。

(3) 昭和六一年五月期(同年四月二一日から同年五月二〇日まで)は、定日出勤二六日、休日出勤なし、公休日四日、欠勤日及び有給休暇日なしであり、一勤務あたりの平均拘束時間二二時間五六分、一勤務当たりの平均時間外労働時間三時間五六分、一勤務当たりの平均走行距離二六九キロメートルである。

(三) 長太郎の発症前約一週間(昭和六一年五月一八日から同月二五日まで)の勤務状況等(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)

(1) 五月一八日は、公休日であり、勤務には就いていない。

(2) 同月一九日(出番)は、午前一〇時五〇分ころ始業、午前一一時二〇分出庫、翌二〇日(明番)午前九時二〇分入庫、午前九時五〇分終業、拘束時間二三時間、時間外労働時間三時間五〇分、休憩時間合計約三時間、走行距離二四三キロメートルであった。

(3) 同月二一日(出番)から翌二二日(明番)にかけては、風邪気味であったため欠勤し、自宅療養した。

(4) 同月二三日は、午前一〇時一〇分ころ出庫、翌二四日午前八時三〇分入庫、午前九時終業、拘束時間二三時間二〇分、時間外労働時間四時間二〇分、休憩時間合計約三時間、走行距離二四五キロメートルであった。

(5) 同月二四日は、連続勤務となり、午前九時三〇分始業、午前一〇時出庫、翌二五日午前八時三〇分入庫、午前九時終業、拘束時間二三時間三〇分、時間外労働時間四時間三〇分、休憩時間合計約三時間(その間、帰宅し食事をとっている。)、走行距離二四九キロメートルであった。

(6) 長太郎は、本件急性心筋梗塞発症の一週間ないし一〇日前ころから、胃付近及び背中に鈍痛があったが、胃薬を服用すれば、右鈍痛は治まっていた。

(四) 長太郎の発症直前から前日(昭和六一年五月二五日)までの勤務状況等(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)

長太郎は、同月二五日午前九時に業務を終了し、午後一時ないし二時ころ帰宅後、ずっと自宅にいた。翌二六日朝再び右鈍痛があったが、しばらくすると治まったので、出勤し、所定の始業時間より約四〇分遅れで始業し、午後零時一〇分ころ出庫して運転業務に就いた。午後二時ころから午後三時ころまでの約一時間停車し、休憩時間をとった後、運転業務を再開し、午後五時一五分ころ、大阪市天王寺付近から、その日六人目の客を乗せプラザホテルに向け走行中、午後五時二五分ころ、同市芦原橋付近で急性心筋梗塞を発症したが、そのまま走行を続け、午後五時四〇分ころ、同市西区うつぼ公園付近で出会った同僚のタクシー乗務員梶田和夫に右乗客を引き継いだ(なお、それまでの走行距離は、六八キロメートルであった。)。午後七時ころまでそのまま休憩した後、自ら運転して山本第一病院に赴き、同日午後八時ころ、受診し、入院治療を受けたが、翌二七日午前一時五五分死亡するに至った。

2  長太郎の組合活動(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)

長太郎は、昭和五八年二月から死亡するまでの間、仲川交通の従業員で組織する仲川交通労働組合(以下「仲川労組」という。)の書記長として、組合活動全般に従事していた。長太郎は、組合活動経験が豊富であり、仲川労組の中心となって活動し、組合新聞の原稿作成、清書作業のすべてを担当し、会社との交渉でも中心的役割を担っていた。

長太郎は、書記長就任以来、発砲事件、有給休暇、無線の設置、労働協約の締結等の問題が連続してあったため、毎月約七〇ないし八〇時間を組合活動に費やしていた。長太郎が組合活動に費やした日数及び時間数は、昭和六一年三月期(同年二月二一日から同年三月二〇日まで)で一五日、八一時間、同年四月期(同年三月二一日から同年四月二〇日まで)で一六日、八二時間三〇分、同年五月期(同年四月二一日から同年五月二〇日まで)で一四日、四三時間三〇分であった。

3  長太郎の健康状態等

(一) 長太郎の体格(〈証拠略〉)

長太郎は、身長約一五八センチメートルであり、体重は、仲川交通入社時の六一キログラム前後から次第に増加し、一時期は六六キログラムを超え、昭和六〇年一一月の測定時には六五キログラムであり、やや肥満型の体質であった。

(二) 長太郎の既往病歴(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)

(1) 長太郎が、仲川交通の一般健康診断及び林診療所でした血圧測定値の推移は次のとおりである。

ア 昭和五五年四月四日

収縮期血圧一二四/拡張期血圧八二(以下同様)

イ 同年一〇月七日 一五〇/八〇

ウ 昭和五七年六月二九日 一五四/一〇〇

エ 同年一二月六日 一五〇/九八

オ 昭和五八年三月二四日 一四〇/九六

カ 同年四月一九日 一四〇/八八

キ 同年五月一九日 一二四/七六

ク 同年八月四日 一二二/九〇

ケ 昭和五九年二月八日 一三八/九六

コ 同年四月九日 一三八/九六

サ 同年九月一一日 一三〇/八四

シ 同年一〇月二二日 一六六/一〇六

ス 同月二三日 一七二/一一四

セ 同月二六日 一二八/九四

ソ 同年一二月一〇日 一七〇/一一二

タ 同月一八日 一五六/一〇二

チ 昭和六〇年四月一六日 一六四/一〇八

ツ 同月二四日 一五八/一〇二

テ 同月二六日 一一六/八二

ト 同年五月二八日 一五二/九〇

ナ 同年一一月二八日 一二〇/八二

ニ 昭和六一年四月一四日 一三八/九四

(2) 長太郎は、林診療所に通院し、昭和五七年一〇月一九日から高血圧症、昭和五八年四月一九日から胃炎の治療を受け、降圧利尿剤等の投薬を受けていた。長太郎の血圧値は、右投薬によりコントロールされ、治療に精励するときは、世界保健機構の設定する危険閾値を脱することもあったが、治療を少し怠るとすぐに危険閾値に戻るという状況にあった。高血圧症の存在は明らかであった。なお、長太郎は、昭和六〇年五月二六日、林診療所で通院治療を受けた後、昭和六一年四月一四日まで林診療所に通院していなかった。

(三) 長太郎の嗜好(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)

長太郎は、喫煙癖があり、煙草を一日五、六本程度吸っていたが、酒はまれにビールをグラスに一、二杯飲む程度であった。

二  業務起因性の判断基準

労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の給付を求めることができるのは、労働者が業務上死亡した場合であるところ(同法七条、一二条の八、労働基準法七九条、八〇条)、右業務上死亡した場合とは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と業務との間に条件的因果関係があるというだけでは足りず、これらの間にいわゆる相当因果関係が存在することが認められなければならないと解すべきである(最高裁判所昭和五〇年行ツ第一一一号同五一年一一月一二日第二小法廷判決・裁判集民事一一九号一八九頁参照)。

そこで、長太郎の死因が急性心筋梗塞であることは当事者間に争いがないところ、その発症と長太郎のタクシー運転業務との間の相当因果関係の有無を判断する。

1  心筋梗塞について(〈証拠略〉)

心筋梗塞は、心筋各部に酸素や栄養を補給する冠状動脈の閉塞によって生じる心筋の壊死であり、右冠状動脈閉塞の成因のほとんどは、冠状動脈に粥状硬化(脂質やコレステロールが沈着した結果、血管の内腔が粥状のアテロームでどろどろになった状態)が生じ、内腔が狭くなってやがて閉塞し、あるいは、内腔が狭くなったところに血栓やアテローム等が詰まって、血流を遮断するというものであり、このような冠状動脈の粥状硬化は、数か月ないし数年の単位で進行する。

そして、心筋梗塞は、冠状動脈硬化を基礎疾患として発症するので、冠状動脈硬化の促進因子はすべて心筋梗塞の素因となり、高血圧症、糖尿病、高脂血症、肥満、喫煙等が危険因子と考えられる。

2  本件急性心筋梗塞について

前記一認定の事実及び証拠(〈証拠略〉)によれば、長太郎の心筋梗塞は、心臓の左心室の前壁、側壁を中心とする広範囲にわたる梗塞(貫壁性の梗塞)であり、その冠状動脈主分枝の完全閉塞によって、心内膜層から心外膜層まで心室壁に壊死が生じたことが認められること(〈証拠略〉)、右冠状動脈の主分枝の完全閉塞があるということからすれば、長太郎の冠状動脈の粥状硬化は相当程度進行した重篤な状態であったことが認められる上、冠状動脈の粥状硬化の進行には、狭心症的痛み等の自覚症状が伴わないことがしばしばあり、血管内腔を九割閉塞していた場合であっても、自覚症状が存在しないケースもあること、長太郎は、心筋梗塞の素因として、重要な危険因子である高血圧症を有し、肥満体質であり、喫煙癖もあったこと、同人は、林診療所に通院して降圧利尿剤等の投薬を受けていたが、治療を怠るとすぐにその血圧が危険閾値に戻る状態にあったにもかかわらず、昭和六〇年五月二六日から昭和六一年四月一四日まで同診療所に通院していなかったこと、本件急性心筋梗塞は、長太郎の有した器質的病変が自覚症状もないまま悪化し、自然的経過の中で増悪して発症したものである旨の医学所見(〈証拠略〉)及び聴取書(〈証拠略〉)があり、右所見に格別不都合な点は認められないことも考え併せると、同人の前記の冠状動脈の病変は、原告らが過重負荷に当たると主張する同年五月二三日からの本件連続勤務が開始されるまでに自覚症状のないまま相当程度増悪しており、その後の右疾病の自然的経過のみによっても本件急性心筋梗塞が発症する可能性が十分に認められる病状であったことが推認される。

3  長太郎のタクシー運転業務上の過重性について

(一) 前記一認定の事実によれば、長太郎の発症前一週間の勤務状況は、発症前三か月の勤務状況と比較してもほぼ同一程度の日常的なものであり、特に過重なものと認めることはできず、また、(人証略)によれば、長太郎の右勤務状況は、仲川交通の他のタクシー乗務員と比較しても特に過重なものとは認められない。

(二)(1) 原告は、タクシー運転業務は、大きな精神的、肉体的疲労を伴い、とりわけ深夜勤務及び連続勤務は、右疲労を飛躍的に増大させるものであるところ、長太郎が風邪で体調を崩して欠勤した翌日にした本件連続勤務が、過重な勤務に当たることは明らかである旨主張し、医師田尻俊一郎作成の意見書(〈証拠略〉、以下「田尻意見書」という。)には、右主張に沿う記載がある。

長太郎が、欠勤明けに本件連続勤務をしたことは、前記一判示のとおりである(被告もこの点は争わない。)が、右欠勤の理由である風邪は、さほど重いものではなく、正確には風邪気味という程度のものであり、長太郎は通院もしていないこと(〈証拠略〉)、長太郎が本件連続勤務をする前には、約七二時間の非勤務時間があり、その間自宅で療養していること、本件連続勤務は、仲川交通より強制されたものでないし、他に同人が体調が悪いにもかかわらず特に本件連続勤務をせざるを得なかった事情も認められないことからすれば、長太郎は、右自宅療養により体調が回復したからこそ本件連続勤務をしたものと推認される。

そして、長太郎は、仲川交通のタクシー乗務員として約七年間の経験を有し、昭和六〇年九月以降、月一ないし四回の連続勤務をしていること、本件連続勤務は、昭和六一年三月三一日、四月一日の連続勤務以来の連続勤務であること、長太郎は、本件連続勤務中、各日三時間程度の休憩時間をとっており、二四日には、途中で帰宅して食事をとっていることからすれば、本件連続勤務が、長太郎にとって特に過重な業務とは認められず、原告の右主張等は採用できない。

(2) また、原告は、仲川交通の労働環境は、他のタクシー会社に比べて劣悪であるため、仲川交通のタクシー乗務員が脳梗塞や心不全で倒れる例が多発しており、かかる労働環境のもとで長太郎が過重な業務を強いられていたことは明らかである旨主張し、(人証略)も同旨の証言をする。

しかし、前記一認定の長太郎の勤務状況は、大阪府の法人・個人ハイヤー・タクシーの運輸実績(昭和六〇年度、六一年度)(〈証拠略〉)と比較しても特に過重なものとは認められないこと、長太郎は、昭和五八年二月以降、仲川労組の書記長として、タクシー運転業務終了後や公休日等の非勤務時間のうち毎月約七〇ないし八〇時間を組合活動に費やすことが可能であったこと、昭和五二年以降仲川交通の従業員からの脳血管疾患及び虚血性心疾患にかかる労災請求事案は、本件も含め遺族請求が二件(うち業務上認定は一件)である(〈証拠略〉)ことからすれば、右主張は採用できない。

(3) さらに、原告は、長太郎の高血圧症はさほど重篤なものではなく、長太郎のタクシー運転業務は、右基礎疾患を自然的経過を超えて著しく増悪させる程度に過重なものであった旨主張し、田尻意見書(〈証拠略〉)には、右主張に沿った記載がある。

しかし、長太郎の高血圧症等を基礎疾患とする冠状動脈の粥状硬化が、かなり重篤なものであったと認められることは前記2判示のとおりであること、医師白井嘉門作成の意見書(〈証拠略〉)、医師小林敬司作成の意見書(〈証拠略〉)及び同医師に対する聴取書(〈証拠略〉)によれば、両医師は、タクシー運転業務の特殊性を考慮しながらも、長太郎のタクシー乗務員としての熟練性、本件急性心筋梗塞発症当時の勤務状況、基礎疾患等を勘案して、タクシー運転業務が本件急性心筋梗塞発症の原因とは認められないとの結論を導いているのに対し、田尻意見書は、タクシー運転業務の一般的な問題点を指摘した上、タクシー運転業務は、他業種に比してストレスの極めて強い業務であり、これが心筋梗塞の基礎的要件である高血圧や動脈硬化の形成を促進したとし、結局、タクシー運転業務が一般的、抽象的に心筋梗塞発症の危険性を有している旨を論じているにすぎない上、タクシー運転業務とストレスの関連性及びストレスと心筋梗塞の関連性についても具体的な論拠が十分に示されているとは認められず、右両医師の意見を否定するに足りるものでないことからすれば、原告の右主張等は採用できない。

4(一)  以上を総合的に考慮すれば、長太郎のタクシー運転業務が、長太郎の素因等を自然的経過を超えて増悪させ、本件急性心筋梗塞を発症させたとはいえず、右タクシー運転業務が本件急性心筋梗塞発症の相対的に有力な原因若しくは共働原因となったものとは認めることはできない。よって、右タクシー運転業務と本件急性心筋梗塞との間に相当因果関係があるということはできない。

(二)  なお、原告は、長太郎は本件急性心筋梗塞発症後もタクシー運転業務を続け、受診が遅れたことが、長太郎の死亡の大きな原因となった旨を主張する。

しかし、長太郎の高血圧症等を基礎疾患とする冠状動脈の粥状悪化が、かなり重篤なものであり、昭和六一年五月二三日当時既に相当程度悪化していたことが認められることは前記2判示のとおりであることに対比すれば、本件急性心筋梗塞発症後、直ちに受診しなかったこと自体が、長太郎の死亡の原因であると認めるに足りる証拠はなく、右主張は理由がない。

四(ママ) 以上の次第で、長太郎の死亡は業務上のものと認められないとした本件処分は正当であり、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 大竹たかし 裁判官 髙木陽一)

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